数学力が労働生産性を左右する、それがAI時代
2024年、日本政府は「物価高を上回る所得増へ」とのスローガンのもと、政策を総動員して賃上げムードをつくっています。それにこたえるように、春闘では満額回答が相次ぎ、大企業を中心に賃上げの動きが進んでいます。とてもいいことですし、この動きが大企業から中堅・中小企業に広がってほしいと思います。ただ、水を差したいわけではありませんが、大事なことが忘れられているような気がします。
※本記事は、「データサイエンス数学ストラテジスト[中級]公式テキスト」(日経BP)のまえがきの内容を再編集したものです。
労働生産性は上がっているのか?
「賃上げと同時に上がっていなければならないことがあるはずだが、果たして上がっているのだろうか?」との疑問があるのです。それは、「労働生産性」です。
賃上げを企業経営の側面からみると、さまざまな努力で利益を確保し、それを従業員に還元することを意味すると思いますが、働く1人ひとりとしては、自分の労働生産性が高まったその対価として賃上げされるのがまっとうです。そうなっていれば、賃上げは当然と思えます。
ところが、公益財団法人・日本生産性本部が2023年11月に発表した「日本の労働生産性の動向2023」によると、「2022年度の日本の実質1人あたり労働生産性は前年度比+1.0%」です。プラスにはなっていますが、前年は+2.6%でしたから、伸びは鈍化しており、「不安定な推移をたどっている」と報告されています。
日本の1人あたり労働生産性はOECD加盟38か国中31位
労働生産性を高める動きは、国の政策として打ち出されています。政府は2022年10月、「リスキリング」に5年で1兆円投資すると発表し、各省庁の施策が動き出しています。企業の取り組みも活発で、DX(デジタルトランスフォーメーション)投資の一環として人材育成に注力しています。企業によっては確実にその成果が表れているでしょうし、個々の取り組みがマクロな数字に反映されるのに時間がかかっているだけかもしれません。
しかし、世界と比べると、その歩みは遅いと言わざるをえません。日本生産性本部が2023年12月に発表した「労働生産性の国際比較2023」によると、「日本の1人あたり労働生産性はOECD加盟38か国中31位」です。国際的に見るとまだ低いままなのです。
“ビッグツール”の使いこなしが労働生産性を左右
労働生産性の歴史を振り返ってみると、産業革命が起きて「機械」が登場すると労働生産性は飛躍的に高まりました。機械をうまく使いこなせる企業ほど競争力が高く、そこで働く人の労働生産性は高かったといえます。1990年代以降は「コンピュータ」が時代を支えており、コンピュータをどれだけうまく使いこなすかどうかで、その人の労働生産性はほぼ決まっていたと言えます。
労働生産性は、機械やコンピュータのような時代を大きく変えた“道具”(適当な言葉がないので、本記事では“ビッグツール”と呼びます)の使いこなしにかかっていると思います。もちろん、“ビッグツール”の使いこなしだけではありませんが、労働生産性に“ビッグツール”の使いこなしが大きく関与しているというのは誰しもが納得することではないでしょうか。
労働生産性を高めるには、未来に向けてビッグツールを適切に選択し、それを使いこなせるように学ぶことです。間違った選択、間違った学びをしてしまえば、労働生産性は高まらず、せっかく上がった賃金が再び停滞することになりかねません。
つぎの“ビッグツール”はAI
これから未来に向けて、産業革命の「機械」のような、1990年代以降の「コンピュータ」の役割を果たせるビッグツールといえば、誰しもが「AI(人工知能)」だというでしょう。AIはブームをくり返して期待にこたえられなかった歴史はありますが、現在のAI技術は人々の想像を超える成果を生み、その進化のスピードは目を見張るものがあります。少し前まで、囲碁や将棋の世界でAIの実力が人を上回ったことに驚いていましたが、現在はChatGPTをはじめとする「生成AI」の登場によって、文書作成やプログラミング、デザインや音楽などの領域において、人よりAIの方が優れている時代になりつつあるのです。
AIを使いこなす能力とは
AIを使いこなすには、何を学べばいいのでしょうか。AIを「つくる」にはプログラミングスキルや大量データを処理するノウハウが必要だと言われていますが、「つくる能力」と「使いこなす能力」は別ものです。
ここでの議論は労働生産性を高めることであり、AIは人にとって道具なので、人がAIの良さを引き出せればいいのです。良さを引き出すコツは、その道具と「コミュニケーションをとる」ことです。比喩的に表現していますが、要は、その道具はどのような特性を備え、何が得意で何が苦手で、どんなふうに使われると機嫌がよく、どうされると機嫌を損ねるか、といったことを指しています。一般的な道具を想像すると、言わんとすることはわかってもらえるのではないかと思います。
AIとコミュニケーションをとるには「数学力」が欠かせない
では、AIとコミュニケーションをとるにはどうすればいいでしょうか。何に対してもそうですが、うまくコミュニケーションをとるには、まずは相手のことをよく理解しなければなりません。相手を理解せずにいくらアプローチしても、それは伝わりません。現在のAIのベースは機械学習です。それは人間の思考をコンピュータでまねできるようにしたもので、基礎を成しているのは、微積分・線形代数・統計学などの「数学」です。つまり、AIとコミュニケーションをとるのに欠かせない知識は、「数学」なのです。数学力がAIの使いこなしを左右し、人の労働生産性に大きく影響するということです。
「数学を学べば労働生産性が上がる」と言われても、疑いたくなるのはわかります。そこは、こう考えてください。これからの時代、人とAIの共同作業が普通になるので、基本的には、AIという“ビッグツール”によって人の労働生産性は高まります。労働生産性はAI次第なのです。ここで、数学知識が欠如してAIとうまくコミュニケーションをとれないと、AIの生産性が下がり、それは人の労働生産性が下がることを意味するのです。
AIを知るのに必要な数学を学ぶ「データサイエンス数学ストラテジスト」のカリキュラム
2024年6月に「データサイエンス数学ストラテジスト公式テキスト中級」が発行されました。
本書で解説する「データサイエンス数学ストラテジスト」は、「AIとコミュニケーションをとるために必要な数学の知識を体系立てている」と言ってもいいでしょう。実際そのカリキュラムを見ると、高校で習ったような数学のほか、AIに携わっていなければ見たこともないような難しそうな単語が並んでいます。これが「必要な知識」と言われても、最初はしり込みする人もいるはずです。
しかし、「データサイエンス数学ストラテジスト」の公式テキストと位置づけられる本書は、必要な知識を無理なく理解できるくふうが施されています。本記事の書き手である私が読んでみたところ、最初ざっと見たときは「難しくて理解できそうもない」と思いましたが、頭から順番に読んでいくと徐々に理解が深まっていく実感がありました。そして、「AIというのはこういう理論で成り立っているんだ」と意識することで、本書を読む前より、AIを理解した気になれたのです。何より、遠い存在だと思っていたAIに親しみを持つようになった感じがします。これは、発見でした。これこそ、「学び」だと体験したのです。
本書を手に取ったみなさまには、ぜひ本書を学習し、AIとコミュニケーションをとれるようになり、将来に向けて、高い労働生産性を維持できる人になっていただきたい。自分がどのくらいのレベルに達しているかを測るための資格試験も用意されています。ぜひ、挑戦してみてはいかがでしょうか。
記事を書いた人
松山 貴之
日経BP 技術プロダクツユニット クロスメディア編集部 編集委員